お金女の浮気男の浮気

一時の快楽に溺れた代償はあまりにも大きい

不倫関係にあって行う性行為というのは、健全な婚姻関係にある男女が性行為に及ぶよりもはるかに興奮するという特徴があります。そのため、より激しい性的刺激を求めて、どんどん深みにはまっていってしまうのが、不倫行為が後を絶たない一番の理由だと考えられます。

これは、本来はしてはいけないことをしているという背徳感が、スリルや興奮材料になってしまうためです。昔話の「鶴の恩返し」ではありませんが、してはいけません、見てはいけませんと言われれば言われるほど、したくなり、見てしまうというのが人間の心理です。本当は結婚して、ちゃんとしたパートナーがいるのですから、結婚相手以外の異性と肉体関係を持つことはしてはならない行為です。けれど、してはならないと思えば思うほど、相手を求める気持ちは強くなります。さらに不倫関係から抜け出せない要因として、相手のことを好きだという心理がある場合はもちろんのこと、相手のことは特に好きではなくても、体の相性が抜群によくて離れられないという、厄介な面があることです。精神的に相手のことが好きという場合よりも、体の相性がよすぎてやめられない場合のほうが、関係を絶つのは難しいといえるでしょう。体が感じる気持ちよさから、お互いが求め合ってしまうからです。

不倫がばれた時


パートナーにばれないようにしようと注意していても、不倫というのはばれてしまうものです。本人にやましいと感じる気持ちがあると、それがどうしても言動に出てきてしまうからです。そうなると、これまではそんなことなかったのになんだかおかしいということになり、より注意深く見ていると、どうも不倫をしていそうだということが分かってきます。こうなったら、自分ではばれていないつもりでも、相手は素知らぬ顔で証拠探しを始めるでしょう。もしかしたら、探偵社や興信所に頼んで浮気調査をしているかもしれません。

そして、ある日突然、不倫をしている事実を決定的証拠とともに突き付けられ、反論の余地がなくなったところでようやく不倫を認めることになります。不倫をしていたことが分かった以上、離婚の申し立てをする権利は不倫された側にあります。

不貞行為を働いて婚姻生活を破綻に追い込んだ責任のある側には、法律において離婚を申し立てる権利をはく奪されるからです。

パートナーの決断いかんによって、婚姻生活に終止符を打つことになるのか、それとも何らかの条件を付けることによって婚姻関係を継続していくかのどちらになるかを選ぶ権利は、不倫をした側にはないことを知っておく必要があります。

男性が不倫をした場合に払う代償


男性が不倫をし、妻に離婚を要求された場合、ほとんどの女性が家や家財道具の半分を要求します。もしかすると夫に対して家を出るように求めるかもしれませんが、家や家財道具は夫婦の共有の持ち物であるため、一方的に妻が全てを自分のものとして手に入れることは難しいといえます。ただ、半分を要求された場合にはほとんど認められますので、家を半分に割って住むことができない以上、売り払って現金に換えて支払うことになります。

現預金についても、たとえ妻が専業主婦であったとしても、妻が家を守ってくれていたおかげで仕事に専念できたとみなされるため、現預金のいくらかは妻に行くことになるでしょう。さらに、婚姻関係を破綻させる要因を作った責任と、精神的苦痛を与えられたとして、慰謝料の請求がされるのは明らかです。

子供がいれば、おそらく妻が親権を得るでしょうし、子供本人も母親について行く可能性が高いでしょう。父親の不倫について子供がどう考えるかは分かりませんが、母親が泣いている姿を見れば、子供としては母親の側につくのが自然と考えられることから、夫として妻を失うだけでなく、父親として子供をも失うことになります。

女性の場合はもっと深刻に


不倫をしたのが女性の方だった場合には、男性の時よりもはるかに困難な状況が待ち構えているといっていいでしょう。専業主婦や、パートで働いていたという女性であれば、慰謝料を払う能力がないことから慰謝料を払うようにとの要求は退けられるか、そもそも夫側が支払い能力がないことが分かっているので最初から請求しないことも多くあります。とは言え、離婚となれば間違いなく家から追い出され、その際に夫からお金をもらうこともできないでしょう。子供が母親について行くといえば、子供の意思を尊重するかもしれませんが、親権を争うとなれば夫が勝つのは間違いなく、夫が子供を手放さなければ、お腹を痛めて生んだわが子を失ってしまいます。住むところもなく、お金もなく、子供さえも失ってしまったら、おそらく生きていることの意味すらなくなってしまうことでしょう。

まとめ


不倫をした結果、その後に待つ過酷な状況を招く根本的な原因は、体の相性が良すぎて離れられないという一時の快楽に溺れたためです。快楽のために払うことになる犠牲は、あまりにも大きいと言わざるを得ません。

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